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第23回健康ウォーキング葉山街道
”最初に井戸を掘った人の恩を忘れない”
会長さんの言葉に感銘する
 2013年3月24日、葉山龍馬を愛する会が主催するウォーキングイベント「歩こう維新へ脱藩の道・健康ウォーキング葉山街道」が開催された。事務局は津野町役場産業建設課が行っています。コースは、高知県佐川町の佐川龍馬神社から土佐国内最大の難所であった朽木峠(くちきとうげ)を越え、昼食と休憩地点になっている三間川地区を通り、津野町のかわうそ自然公園までの約十二キロを歩く。このイベントは、龍馬が脱藩した3月24日に近い日曜日に開催され、今年で第23回目を迎えた。龍馬に変装しての「おらが龍馬だコンテスト」などお楽しみもあり、毎回約300人が参加している人気のウォーキングイベントです。
 さて、「このイベントが開催できるのは、村上先生のおかげですよ」と言われるのは、葉山龍馬を愛する会会長の島崎さん。朽木峠越えルートの龍馬脱藩の道を解明した村上恒夫先生への感謝をずっと持ち続けていることに、私は深く感銘した。まさに中国の格言“水を飲むとき、最初に井戸を掘った人の恩を忘れない”である。
村上恒夫先生はこのようなことを書かれている。「記録によると、文久二年(一八六二)三月二十四日、土佐は雨が降っていた。龍馬と惣之丞は、濡れながら道を急いだ。河野敏鎌は、のちに佐賀の乱首謀者、江藤新平を断罪したことで知られるが、その言い伝えに、「十九歳のとき」龍馬を朝倉まで見送った」とあり、陸路を西へ向かったことは間違いない。現在の高知市 ― 伊野町 ― 日高村 ― 佐川町を通ったものと思われる。・・・その佐川あたりで、龍馬と惣之丞はどのような夜を過ごしたのであろうか。寺社の軒下に雨露をしのいだか。また、知人に一夜の宿を乞うたか。あるいは濡れながら歩き通したか ―― 記録がないのでわからない。明けて二十五日、佐川の斗賀野から、土佐国内最大の難所、蟠蛇ヶ森朽木峠を越えたものと思われる。この道は、高知県西部に向かう交通の要所で、山内容堂も西行のとき、ここを通っている。」(『歩いてみよう坂本龍馬脱藩の道』より)
左上:朽木峠竜馬脱藩の杖が置かれている、右上:チェーンソーで作った龍馬の木造
左下:高知市内から参加された井上さん、右下:家族でなりきっています。いいね!
左上:ちびっこ龍馬さんに声をかける龍馬さん、右上:のぼり旗を持つてご苦労様
左下:朽木峠の手前にある案内板、右下:朽木峠にある案内板
左上:朽木峠に到着すると通行手形にはんこ、右上:朽木峠の関所で皆さん記念撮影
左下:朽木峠では地元の方々が竹細工を作ってプレゼント、右下:皆さん関所を無事通過
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