ホーム ニュース 脱藩の道 事典 レポート 商品
脱藩事典 > 詳細-019
吉村虎太郎宅跡
土佐脱藩第一号である吉村虎太郎の生家は、高知県高岡郡津野町芳生野甲にある。現在、虎太郎の生家は当時のつくりに復元されている。津野町教育委員会によると落成式は平成27年6月4日に行われていた。昔と同じようにかやぶき屋根で復元されているのが素晴らしい。また、地元のお茶の葉を使った”おもてなしのお茶”が美味しい。吉村虎太郎宅跡の入館は無料です。開館時間は午前9時〜午後4時まで。
なお、吉村虎太郎のことは、下記の案内板に記載された文章をお読みください。
県指定 史跡
吉村虎太郎宅跡 昭和四十四年八月八日指定

明治維新の志士 吉村虎太郎は、天保八年(1837)四月十八日芳生野村庄屋 吉村太平の長男として生まれる。
嘉永元年(1848)、十二歳にして早くも北川村庄屋を命ぜられ、安政元年(1854)に須崎下分村庄屋、安政四年(1857)に梼原村庄屋に就任。それぞれの地で優れた功績を残されている。庄屋として農民の貧しさに接してきた虎太郎は、身分差別のない社会を実現するため尊王攘夷を志し、文久二年(1862)に土佐脱藩第一号者として諸国で活動するも、寺田屋事件で土佐へ送還され一時投獄される。釈放後、遊学の許可を得て京都へ上り、同志と勤王活動に東奔西走し、文久三年(1863)八月、天忠組の総裁として大和(奈良県)で挙兵された。
しかし、八月十八日の政変により情勢が一変し、天忠組は孤立無援となるも初志貫徹を決意し高取城攻めを行なったが不幸にも虎太郎は負傷の身となる。十津川吉野山中にて諸藩連合軍と交戦しながら撤退を余儀なくされて同年九月二七日、大和東吉野鷲家谷至るも討伐軍の銃弾集中を受け、「吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ」と、辞世の句を残し二十七歳の若さで生涯を閉じた。この遺業がきっかけとなり全国に倒幕の運動が拡大し、慶応三年(1867)大政奉還の大改革となったのである。ここに、虎太郎の業蹟を偲び、生誕地を史跡として長く保存するものである。

津野町教育委員会
問合せ先
津野町吉村虎太郎邸 TEL 0889-62-2601
運営 リンク  問合せ
 Copyright(c) 2017 Tanae All Right Reserved.