文久2年(1862年)3月28日上関に泊まり、29日朝、同地を出発した船は、その夜、三田尻(山口県防府市)に着いた。ここは長州、勤王派の国である。船を下りて陸に上がった坂本龍馬と沢村惣之丞は顔を見合わせてうなずき、脱藩に成功したことを実感したことであろう。
下関とともに、長州勤王派の拠点であるこの三田尻には、「三田尻お茶屋」と呼ばれる藩の公館があった。その三田尻お茶屋の北側に「招賢閣」と称する会議所があって、幕末の頃、勤王派の志士たちが多く出入りして、倒幕運動の拠点となっていた。
龍馬も脱藩後の5年間、何度かこの建物に入ったものと思われる。しかし、現在、その建物はなく、その位置も特定できない。
村上恒夫著「歩いてみよう坂本龍馬脱藩の道」より |