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脱藩の道 > 詳細-020
冨屋金兵衛邸
脱藩後2日目、四国路の最後の夜、
豪商の冨屋金兵衛邸で過ごした
脱藩後2日目、四国路の最後の夜を、坂本龍馬と沢村惣之丞は、長浜の金兵衛邸で過ごした。冨屋金兵衛は代々紺屋を営む豪商で、商売のかたわら、勤王派志士達を援助していた。下関の白石正一郎を彷彿とさせる人物である。
富屋金兵衛邸 吉村虎太郎の手紙
金兵衛邸、すなわち長浜本町、富田運夫氏方に、曽祖父になる金兵衛に当てた、吉村虎太郎の手紙が残っている。日付は「3月6日」とあり、その内容は、先に滞留してご馳走になったことを謝し、続けて「両友此の度罷越候間万事宜敷く御執斗下さるべく・・・」とあることに注目したい。両友とは、虎太郎と同じ頃脱藩した宮地宜蔵と沢村惣之丞のことと考えられる。

私は、龍馬脱藩は吉村虎太郎が手引きをしたと考えている。証拠を挙げなければならない。まず最初に、虎太郎は長州に着き、久坂玄瑞に「後より十余人も来るべし」と予告している。その予言どおり、次々と脱藩者が現れるが、その筆頭は坂本龍馬であった。既に高知にいるとき、打ち合わせていたかとも思われる。

次は沢村惣之丞の行動である。彼は吉村虎太郎と脱藩、3月16日下関で、玄瑞・虎太郎らと会談している。その直後、惣之丞は来たばかりの道を土佐へ引き返している。虎太郎の命を受けて、龍馬を迎えるために。
次は梼原の那須俊平、信吾父子の行動で知れる。虎太郎が同郷の那須父子に、意を含めて道案内を依頼したものと思われる。
そしてもう一つ、長浜町の豪商・冨屋金兵衛の存在である。

村上恒夫著「歩いてみよう坂本龍馬脱藩の道」より
▼富屋金兵衛邸

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