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脱藩の道 > 詳細-018
大洲城
龍馬と惣之丞は再び舟に乗って肱川を下ったやがて前方に「大洲城」
大洲の志保町あたりで昼食をとった龍馬と惣之丞は、再び舟に乗って肱川を下った。やがて前方に小高い山が見える。大洲城である。他国の城のすぐ下を通る。最も緊張するときであったろう。このとき龍馬は、4年後にこの藩に蒸気船を買わせ、自らが乗ってこれを沈没させてしまうことになるとは、夢想だにできなかったであろう。
 大洲城
大洲藩は表向きは6万石、実質5万石の小藩である。二百数十年間、小藩の悲哀をなめさせられた大洲藩は、この幕末風雲のとき、一旦暖急あらば京へ上り、その存在を示し名を挙げようとの野心を持っていた。

慶応2年(1866年)6月、そのときに備えて鉄砲を購入すべく、郡中(伊予市)郡奉行、国島六左衛門を長崎へ派遣した。もともと鉄砲の目利き(性能の鑑定)に長けているとの理由でこの任を与えられた国島は、長崎で坂本龍馬に会い、その奨めで、鉄砲の代わりに船(蒸気船アピソ号、160トン、42,500両)を買ってしまった。

村上恒夫著「歩いてみよう坂本龍馬脱藩の道」より
 いろは丸
▼大洲城

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