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脱藩の道 > 詳細-007
韮ヶ峠
ちょうど昼頃、土佐と伊予の国境「韮ヶ峠」に、龍馬、惣之丞、俊平、信吾の4人は着いた
文久2年(1862年)3月26日早朝、梼原太郎川の那須邸を出た、坂本龍馬、沢村惣之丞、那須俊平、那須信吾、の4人は、ちょうど昼頃、韮ヶ峠(にらがとうげ))の頂上に着いた。土佐の山並みをふり返りながら、どのような思いがその胸に去来したことであろうか。
韮ヶ峠
4人のうち、道案内人の1人那須信吾は、この韮ヶ峠から土佐へ引き返している。月が改まった4月6日、彼の姿は高知城下に現れる。そして8日、雨の帯屋町に藩の佐幕派の巨頭、参政吉田東洋を斬る。そして脱藩した信吾は、吉村虎太郎率いる天誅組に身を投じ吉野の鷲家口に散った。

この峠までは土佐の国。いうなれば国内旅行。引き返せば脱藩の罪を問われることはない。しかし、ここから先は違う。他国の厳しい監視の目が光り、あるいは命を落とすこともあり得る。その緊張と興奮は、ここだけに味わうものであったと考える。

文久2年3月26日は、新暦に直すと4月24日、この日に韮ヶ峠を訪ねると、沿道に植えられた山桜が咲きほこり、遠く四国山脈には季節はずれの残雪が光っていた。

村上恒夫著「歩いてみよう坂本龍馬脱藩の道」より
▼韮ヶ峠

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