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脱藩の道 > 詳細-001
出発
1862年3月24日、坂本龍馬は自宅を出発
途中、沢村惣之丞と落ち合い一路西へ
文久2年(1862年)春、自らの使命を自覚した土佐の郷士、坂本龍馬は決然として脱藩、幕末風雲の渦中に身を投じた。3月24日高知本庁筋(現在の上町一丁目)の自宅を出、途中で同志の沢村惣之丞と落ち合い、一路西へ、伊予の国から長州へ向かって急いだ。
坂本龍馬銅像(桂浜) 
坂本龍馬誕生地(龍馬誕生祭の写真)
 
さて、龍馬が自宅を出た時刻については、平井収二郎が姉のかほにあてた手紙、「坂本龍馬、昨廿四の夜亡命、定めて是地参り申すべく-----」
そして、福岡家の「御用日記」にある、3月25日の記事、「御預郷士坂本権平弟龍馬儀、昨夜以来行方不知----」から見ると、24日夜の出立のように考えられるが、筆者は、朝のうちに家を出たと考えられる。

その理由は、翌25日の夜、梼原村(現梼原町)の那須俊平、信吾父子の家に至るまでの距離にある。高知から23里、90キロの路を踏破することは、韋駄天龍馬はともかく、同行の沢村惣之丞には無理である。

惣之丞は先立つこと20日ほど前、吉村虎太郎らと土佐を脱藩していた。3月16日、下関の白石正一郎の家にいたことが確認されている。その惣之丞が、脱藩したばかりの土佐へ帰ったのはなぜか。吉村虎太郎らの密命を帯び、坂本龍馬を迎えるためであったことは疑いない。

下関から高知まで、途中、瀬戸内海を渡り、伊予路の最短距離をどんなに急いでも、8日を要したであろう。疲労こんぱいの身では、夜出発して翌日梼原まで行くのは不可能で、やはり朝早く出発して、2日間かけて行ったものと思われる。

村上恒夫著「歩いてみよう坂本龍馬脱藩の道」より
坂本龍馬誕生地

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